煙草を吸うところがなかなかなくて、路上の隅っこで吸っているとき、よくとおるのが自動車や通行人だ。 特に子どもが私を見ながら通行していくときが一番辛い。 私みたいになるなよ、と祈りながら見送る。 また幼稚園バスの後ろの子供たちが私に手をふってくれるので振り返す。 朝1番に見る光景だ。 お年寄りが杖を持って通ったり。生命保険会社のセールスマンがリーダーと部員とで、二人で花を持って歩く姿や、お母さんが子どもの手をひいて歩く姿、ウォーキングしている人の姿、いろいろな姿を見させていただく。 いま私は生きている。 煙草を吸いながら生きている。 煙草を吸えない時期もやってくるかもしれない。 それが私の卒煙式だ。 こうやって両親が健在なのが私を支える。 有り難い。 春のうららかな時も、夏のセミがミンミン鳴くときも10月を迎え秋の枯れ葉が舞い落ちる時も、冬の風が冷たいときも、雨が降り注ぐ日にも、太陽が照り付ける時も感じる。 ボロボロだけど私は生きている。